迷走、瞑想、競う、奇想。「生存」のタメの絵なのか、「絵」のタメの生存なのか。。。イラストレーターの「ロスジェネ時代」に奮闘(もうしない)イラストレーター!

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・先ずは今朝のツイッターの呟きから。


セメンヤ選手のニュースの某所のコメで誰かが「中性(3番目の性)枠」でも設ければ?と書いていた。つまり、競技の「成績順」が、第一番目「男。」第2番目「女。」第3番目「インターセックス。」になる。ということですね、わかります。

そこまでして何を「維持」したい、国際をめぐるスポーツ業界。
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そうは言ってもスポーツなんだから、性別、その他にきっちり「」を設けなければ不利が生じると言う疑念を持つ人も少なくないと思う、そう思いがちな人にはワタシは黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」をいつもお奨めしている。

窓ぎわのトットちゃん (講談社文庫)窓ぎわのトットちゃん (講談社文庫)
(1984/04/15)
黒柳 徹子

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この作品を読んだのはワタシが高校生ぐらいのときで、親戚の伯父さんに古本でいただいて初めて読んでみた作品でした。トモエ学園の教育のテーマは、今見ても時代を超えて現代的でかつ、未だ斬新で驚かされます。

このトモエ学園内で過ごすトットちゃんたちのエピソードに次のようなものが含まれていました。

トットちゃんのクラスメートの一人に、成長ホルモンの影響で手足が生まれつき他の個よりも短く生まれてきた
少年がいました。トモエ学園にも運動会があったのですが、この競技の中に小林先生たちの妙案で「階段レース」が
組み込まれていたんです。これがまた痛快で、このレースでいつも一等になるのは生まれつき「個体差」で他の個よりも圧倒的に小柄で不利な筈の彼だけだったんです

通常、スポーツに参加させるなら「障害」があるなら「健常者」とは分けて競技させるべきだと大抵の人は思い込みがちですが、ここでは全くそんな常識は意味がないことを証明してしまっています。

あくまで個体の差は個性であるとの理念の下、見事に世間の常識を覆してしまったトモエ学園
の方針に胸がすくような気持ちにさせられました

とにかくお奨めです。

と、いうところで今回のニュースのリンクはこちら。。。。

・男性疑惑のセメンヤ選手 女性として競技に復帰

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200707031.html

世界の「一般常識」の共通認識を巡る思い込みは意外にまだまだ井の中の蛙で(トモエ学園より)圧倒的に時代性が古い。。と

国内では全く可視化されないXジェンダーXTXである自分は思ったのでした。(涙。

でも今日も生きてますよ。。。

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